シンガポールにおける遺産相続

  • 公開日:2024年05月13日

【執筆者情報】

栗林 勉

代表・パートナー弁護士、米国ニューヨーク州弁護士

栗林総合法律事務所の代表。米国ニューヨーク州の弁護士資格を有する国際弁護士。海外に資産のある方の相続手続きの他、国際的紛争の解決や国際取引に関する契約書の作成、中小企業の海外進出支援など、国際法務に関する業務を幅広く扱う。X(旧Twitter)

目次

1.プロベイト手続とは

シンガポールにおいては遺産清算主義がとられていますので、日本の相続手続のように相続財産が法定相続人や受遺者に直接包括的に承継されるのではなく、裁判所(Family Justice Courts)の監督下において行われる清算手続を経て、残った財産のみが相続人や受遺者に分配されることになります。この裁判所の監督下で行われる清算手続をプロベイト手続といいます。シンガポールにおいて、プロベイト手続や財産管理人に関する法律は、Probate and Administration Actと呼ばれています。

2.シンガポールのプロベイト手続における準拠法(適用される法律)

シンガポールに財産を有する日本人が亡くなった場合、どの国の法律が適用になるかを考える必要があります。シンガポールはアメリカやイギリスと同じく英米法の国ですので、不動産については、不動産所在地国の法律が適用になり、それ以外の財産については、被相続人(亡くなられた方)が居住の意思をもって永続的に住んでいた場所(ドミサイル)の法律が適用になります。したがって、シンガポールに所在する不動産の相続手続については、シンガポール法が適用されることになります。一方で、不動産以外の財産については、被相続人が居住の意思をもって永続的に住んでいる場所(ドミサイル)が日本であった場合、相続人の範囲や相続分については、日本法に基づいて定められることになります。ただし、相続手続の進め方については、日本法に基づいた手続ではなく、シンガポール法に基づいたプロベイト手続を行う必要があります。

3.ドミサイル(Domicile)

ドミサイルとは、居住の意思をもって永続的に住んでいる場所のことをいいます。シンガポールに財産を有する日本人が亡くなった場合、不動産以外の財産については、ドミサイル(居住の意思をもって永続的に住んでいる場所)の法律が適用されることになりますので、ドミサイルがどの国にあるかということは非常に重要な意味を持つことになります。ドミサイルは、被相続人の国籍だけではなく、生活の本拠地や永住の意思があった場所などを根拠に判断されることになります。国籍だけでドミサイルが判断されない理由は、シンガポールのような英米法を採用している国々においては、多重国籍が認められている国が多いことから、国籍だけを根拠に判断するとドミサイルを1つに絞ることが困難になる場合が多いことにあります。

4.被相続人がCommonwealthにドミサイルを有していた場合

被相続人がイギリス、アメリカ、オーストラリアなどのCommonwealthの国や香港にドミサイルを有していた場合で、かつ、シンガポールに財産を残して死亡した場合、ドミサイルのある国の裁判所において遺言執行者選任決定書(grant of probate)や相続財産管理人選任決定書(grant of letter of administration)が出されていることがあります。この場合、シンガポールの裁判所に対して、外国における授与書(foreign grant)を承認する(reseal)申立てを行うことになります。

5.被相続人がCommonwealth以外の国にドミサイルを有している場合

被相続人が日本などCommonwealthの国以外の国にドミサイルを有していた場合、遺言執行者選任決定(grant of probate)や相続財産管理人選任決定(grant of letters of administration)についての申立てを新たにシンガポールの裁判所に対して行うことになります。

6.シンガポール法に基づく相続分と相続人の範囲

シンガポールに所在する不動産についてはシンガポール法が準拠法になりますので、相続人の範囲や相続分はシンガポール法に基づいて定められることになります。シンガポール法においては、相続分と相続人の範囲について次のように定められています。日本の民法とは内容が異なりますので注意が必要です。下記のまとめにおいて、○は生存、✕は不存在またはすでに亡くなられていることを意味しています。

1.配偶者○・子供✕・直系尊属✕の場合

配偶者が全部の財産を相続します。一方で、日本法では、配偶者がいて子供がいない場合は、配偶者と直系尊属又は配偶者と兄弟姉妹が相続人となります。なお、直系尊属とは、父母・祖父母など自分より前の世代で、血のつながった直系の親族のことをいいます。両親が既に亡くなっていても、親の親(祖父母)が生存している場合は祖父母が直系尊属として相続人になります。

2.配偶者○・子供○の場合

配偶者が半分を相続し、残りの財産を子供たちで均等に相続します。

3.配偶者○・子供✕・直系尊属○の場合

配偶者が半分を相続し、残りの財産を直系尊属が相続します。両親がともに健在の場合、両親は均等に相続します。一方で、日本法では、配偶者と被相続人の親が相続人の場合、配偶者が3分の2を取得し、直系尊属が3分の1を取得します。

4.配偶者✕・子供○・直系尊属✕の場合

子供が全部の財産を相続します。子供が複数いる場合は均等に相続します。

5.配偶者✕・子供✕・直系尊属○の場合

直系尊属が全部の財産を相続します。両親ともに健在の場合、両親は均等に相続します。

6.配偶者✕・子供✕・直系尊属✕・兄弟姉妹○の場合

兄弟姉妹が全部の財産を相続します。兄弟姉妹が複数いる場合、兄弟姉妹は均等に相続します。また、兄弟姉妹が子供を残して亡くなっている場合は、その子供が親の部分を相続します。

7.日本法に基づく相続分と相続人の範囲

被相続人が居住の意思をもって永続的に住んでいる場所(ドミサイル)が日本であった場合、シンガポールの金融機関に預けている銀行預金などは日本法が準拠法になりますので、日本の民法に基づいて相続人の範囲と相続分が定められることになります。日本の民法においては、相続分と相続人の範囲について次のように定められています。

  1. 被相続人の配偶者は、常に相続人となります(890条)。
  2. 被相続人の子は、相続人となります(887条1項)。
  3. 次に掲げる者は、第887条の規定により相続人となるべき者がない場合には、次に掲げる順序の順位に従って相続人となります(889条1項)。
    1. 被相続人の直系尊属。ただし、親等の異なる者の間では、その近い者が先になる。
    2. 被相続人の兄弟姉妹
  4. 同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによります(900条柱書)。
    1. 子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各2分の1とされます。
    2. 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、3分の2とし、直系尊属の相続分は、3分の1とされます。
    3. 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、4分の3とし、兄弟姉妹の相続分は、4分の1とされます。
    4. 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとされます。ただし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とされます。
  5. 被相続人は、前二条の規定にかかわらず、遺言で、共同相続人の相続分を定め、又はこれを定めることを第三者に委託することができます(902条1項本文)。
  6. 共同相続人は、次条の規定により被相続人が遺言で禁じた場合を除き、いつでも、その協議で、遺産の分割をすることができます(907条1項)。

8.遺言書がある場合

遺言書の中で遺言執行者が定められている場合、遺言執行者は裁判所に対してプロベイト授与書(Grant of Probate)の申立てを行い、裁判所からGrant of Probateが発行されると、遺言執行者(executor)は、遺言書の内容に従って財産の処分を行います。日本人が遺言書を作成した場合で、遺言書の中に遺言執行者の指定がある場合はその遺言執行者がプロベイト授与書の申立てを行います。ただし、遺言書がある場合でも、遺言書の中で遺言執行者についての定めがない場合や遺言執行者が受任を拒否した場合は、相続人がプロベイト授与書の申立てを行います。

プロベイト授与書の申立て手続を行うにあたっては、日本人が現地で手続を行うことは困難なことから、シンガポールに居住する弁護士を代理人に選任し、その弁護士に申立てを行ってもらうことになります。その後、裁判所の決定により、シンガポールの弁護士資格を有する申立代理人弁護士がシンガポールに所在する財産の遺言執行者に選任されるか、もしくはシンガポールの弁護士資格を有する申立代理人弁護士と日本の遺言執行者が共同でシンガポールに所在する財産の遺言執行者に選任されることになります。

9.遺言書がない場合

被相続人の遺言書がない場合、日本人の法定相続人(上記「日本法に基づく相続分と相続人の範囲」参照)は、シンガポールの裁判所に対して、Grant of Letters of Administrationの申立てを行うことになります。裁判所が財産管理人の選任決定(Grant of Letters of Administration)を出すと、その財産管理人(administrator)がシンガポールの財産についての管理処分権限を有することになります。財産管理人(administrator)は、銀行預金を解約し、不動産(マンション・コンドミニアム)を処分し、税金その他の債務を支払ったうえで、残りの財産を相続人に分配します。

10.申立ての添付書類

申立ては全ての添付書類を揃えて行わなければなりません。添付書類として通常想定されるのは下記の書類ですが、場合によっては更に書類が必要となる可能性があります。日本の当局または機関が作成した書類はアポスティーユを取得する必要があります。個人・民間団体が作成した書類については、日本の公証役場で認証を受け、外務省で証明書を取得し、駐日シンガポール大使館で認証を受ける必要があります。日本語で記載されているものは、翻訳者が宣誓の上、翻訳しなければなりません。ただし、シンガポールの公認翻訳者による翻訳が必要な場合もあります。

  • 死亡証明書(Death Certificate)
  • 婚姻証明書(Marriage Certificate)
  • 出生証明書(Birth Certificate)
  • 遺言書(Original Will of the deceased)
  • 被相続人の資産に関する書類(Bank account statement, shares statement, title documents)
  • 被相続人の債務についての書類
  • 宣誓供述書(相続人の範囲等に関する弁護士の法律意見書)(Affidavit)

11.銀行預金の有無が判明しない場合

一般的には、申立てに必要な書類がシンガポールの裁判所に全て提出された後に、現地の弁護士に対して、銀行預金の残高証明書の発行手続を依頼することになります。もっとも、遺言執行者選任決定(grant of probate)や相続財産管理人選任決定(grant of letters of administration)の申立ての段階(申立てに必要な書類がシンガポールの裁判所に全て提出される前)であっても、シンガポールの裁判所から選任された遺言執行者や相続財産管理人が、銀行や金融機関に対して問い合わせの通知を出すなどして、預金が存在するかどうかの調査を行ってくれる場合があります。

12.シンガポールの相続税

シンガポールには相続税や贈与税がありませんので、シンガポールにおいて相続税や贈与税の申告を行う必要はありません。ただし、後述(「シンガポールの財産を相続した場合の日本における相続税」)のとおり、日本においては一定の場合に相続税の申告を行う必要があります。

13.シンガポールの財産を相続した場合の日本における相続税

1 被相続人と相続人のどちらかが日本に居住している場合

被相続人と相続人のどちらかが日本に居住している場合、つまり、亡くなった親がシンガポールに居住していて子供は日本に居住している場合や、亡くなった親が日本に居住していて子供はシンガポールに居住している場合などには、シンガポールに所在する財産についても日本において相続税が発生します。なお、日本国内の財産だけに課税される人のことを制限納税義務者、海外にある財産も含めて課税される人のことを無制限納税義務者といいます。

2 被相続人と相続人のどちらも日本に居住していない場合

被相続人と相続人のどちらも日本に居住していない場合、つまり、亡くなった親とその子供がともにシンガポールに居住している場合などには、①被相続人が日本を離れて10年以上経過していて、かつ、②相続人の国籍が日本国籍ではないか、もしくは相続人も日本を離れて10年以上経過していれば、日本における相続税を免れることができます。

3 日本において相続税が課されるか否かの判定フローチャート

Q1:被相続人は日本に居住していますか

↓ No  Yes → 課税

Q2:相続人は日本に居住していますか

↓ No  Yes → 課税

Q3:被相続人が日本を離れて10年以上経過していますか

↓ Yes  No → 課税

Q4:相続人の国籍は日本ですか

↓ Yes  No → 非課税

Q5:相続人が日本を離れて10年以上経過していますか

↓ Yes  No → 課税

非課税

14.シンガポールの家庭裁判所

シンガポールにも日本と同様に家庭裁判所(Family Justice Courts)が存在しています。シンガポールは、小規模の国であるため、国全体が1つの都市とされており、家庭裁判所についても「3 Havelock Square、 Singapore 059725」という場所に1か所だけ存在しています。シンガポールの家庭裁判所では、家事事件(養子縁組、離婚、後見、家庭内暴力からの保護、相続、遺言検認、国際的な子の連れ去り等)と少年事件(青少年のケアと保護等)が取り扱われています。

15.世界各国の遺産相続手続

16.栗林総合法律事務所が提供できるサービス

栗林総合法律事務所では、相続人の範囲等に関する弁護士の法律意見書(Affidavit)の作成や、戸籍謄本等の必要書類の収集および英訳、大使館や外務省における認証手続など、現地の弁護士と連携を取りながら国際相続に関する手続全般のサポートを行うことができます。国際相続でお困りの際は、栗林総合法律事務所ホームページのお問い合わせフォームからお問い合わせいただくか、電話(03-5357-1750)またはeメール(info@kslaw.jp)でお問い合わせください。